(この文章は、医療従事者の方々向けに発行している冊子『がんの痛みのコントロール ~除痛率100%をめざして~ 』第7版に掲載した 宮垣 拓也 医師のあとがき文です)
第7版 あとがきにかえて
柳原:この4ヵ月、毎日、誰とも語らず、どこにも出ず、ただただ痛みに耐えてきたんですね。それで、痛みにひとつだけ効用があることがわかったんです。何だと思います?
加島:わかんないなあ。痛みはすごく怖いといつも思う弱虫だもの。ただ若い時、自分の腕をぶちきろうとしたけど、痛みはあまりおぼえていない。
柳原:私の結論はね、死ぬことが怖くなくなる。死ぬことが解放になる。この痛みから抜け出られるなら、死ぬってすてきなことだと思わせてくれる、その装置をつくってるんだということを、知りました。
加島:それはそうだ。痛みは死へのひとつのプロセス、過程ですね。その変化をじっと待って、痛みに耐える人になったら、大したもんだよ。僕にはできないけど。
柳原:変化を見る余裕はなかったですね・・・・・耐えるしかなかったから。
加島:『老子』から学んだ一番大きな思想は「すべては変化する」ということでしたね。それを実感したのは・・・・・
婦人公論 2008年3月22号より
卵管癌と告知されて10年余、治療後再発し「余命半年」と云われてから4年余。その間、「がん患者学」「百万回の永訣-がん再発日記」など数々の作品を上梓され果敢にがんと闘われたノンフィクション作家の柳原和子さんがこの3月初めの日曜の朝、家族や仲間が目を話したわずかな間に、自分でその時を選んだかのように静かに笑顔で逝かれました。
「ああ。木に出会いたい。海に出会いたい。光を浴びたい。自然を取り戻したい。贅沢な希望」2月初めのこれが最後の文章。冒頭は亡くなられる2ヵ月少し前に行われた詩集「求めない」がベストセラーとなった詩人の加島祥造さんとの対談の一部です。
この対談を読んだ時、真っ先にキュブラーロスの言葉を思い出しました(
第4版あとがきにかえて参照)。本当に難しい。時にドクターショッピングと揶揄されながらも患者さんの切実なニーズに応えつつ、我々医療従事者の自省の契機にもなった作品を次々出版し、医学に精通し多数の優秀な先生方に支えられているはずの柳原さんでもこうなのかと、柳原さんだからこそこうなのかと・・・痛みについても十分勉強されその道のプロにしっかりペインコントロールされているものと思っていた者にとって、痛みに苦しまれている冒頭の対談はある意味衝撃を受けました。勿論この後、然るべき施設で適切な緩和ケアを受けられてこその穏やかな旅立ちだったのでしょうが、まだまだWHOや国が云う治療初期からの緩和ケアの道は険しいですね。
これからも痛みに苦しまれる患者さんとの出会いは続きます。No Pain,No Gain「痛みなくして得るものなし」の意味を今一度自問自答しながら、山あり谷あり、あっちへ行ったりこっちへ来たり、3歩進んで2歩下がり、諦めず投げ出さずゆっくり頑張っていきましょう。相手の立場に立って、ということをよく言われます。しかし人はしょせん、他人の立場にたつことはできません。また、我々も患者さんも頑張ってどうにかなるほど単純な世界に住んでもいません。また患者さんが諦めることも投げ出すこともけっして悪いことではありません。これらのことを重々承知しながら。
山頭火ではありませんが「まっすぐな道はさみしい」。無理せず、焦らず、水の流れの如く、溜まりに入っても慌てることなく、よどみも徐々に解かれていくから・・・
2008年 早春 宮垣 拓也
山頭火 =種田 山頭火(たねだ さんとうか) 男性 1882~1940
自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。